学会の歴史と現状

日本小児心身医学会は初め日本小児心身医学研究会と称し、昭和58年3月19日に第1回の学術集会を岩波文門(当時、防衛医科大学校小児科教授)会長のもとに東京で開催、正式に日本小児科学会の分科会としての活動を目指していたのが大きな特徴であり、小児科医に心身医学への理解と日常診療の場での実践を促し、特殊な専門分野とみないで、小児科学の中にその精神を取り入れてもらうのがその目的であった。

第1回の総会に先立ち、同日に設立に賛同し、協力した運営委員が10名弱集まり、研究会の会則を決め、次回以降の研究会の運営を検討した。こうして、学会の代表として岩波文門運営委員長、吉岡重威(防衛医大助教授)事務局長が選ばれ、事務局は防衛医大小児科教室に置かれることが決定した。また、学術集会と総会の開催は他の学会や分科会との兼ね合いもあり、9月に開催することにし、当面は東京と大阪で交互に開催し、順次会員の要望に答えるかたちで各地に開催していくことが決定された。

こうして別表にあるようなかたちで1回から5回までは東京と大阪で開催され、6回目で初めてその他の地域で開催されるようになった。6回目は沖縄ということでこの回は10月に開催されたが、学会当日に季節外れの台風が来て、改良と事務局で開催をどうするか連絡を取り合った、かなりひやひやした思い出がある。

学術集会では第1回は一般演題はなく、すべて教育講演で開催され、第2回目から一般演題と特別講演や教育講演、シンポジウムなどの通常の学会形式になり、2日間にわたり開催されるようになった。現在はほぼ60題の一般演題を2会場で開催し、研修会の内容なども加味してシンポジウム、教育講演などが組み込まれている。

また、第7回総会で研究会から学会も名称を使うようになり学会終了後の日曜日(第3日目)に研修会を開催するようになった。研修会は小児心身医学も基礎的な勉強を会員にしてもらうこと、地域での小児心身医学の啓蒙を兼ねて行う目的で開催することになったものである。

また、学会への名称変更にともない、これまでの運営委員が理事に、新たに評議委員を全国各地から選ぶようにして、理事会と評議員会を発足させた。現在は常任理事会と研修委員会、編集委員会、会則委員会、保険委員会の専門委員会があり、若い学会ながら設立時の趣旨に基づき小児心身医学の発展のために活動を続けている。なお、当初から役員は発足時の運営委員会の推薦で決まっていたが、第10回総会を開く頃から、選挙制度の採用が検討され、平成8年初めての選挙を行った。

広報活動としては「ニュースレター」を発足後しばらくしてから、適時発行していたが、平成3年から待望の原著論文中心の「日本小児心身医学会雑誌(子どもの心とからだ)」を発刊できるようになった。小児科領域での初めての心身医学の学術誌として、各界から注目されている。

なお、諸般の事情から、第2会の運営委員会(昭和58年12月)で組織の改変があり、それ以降、高木俊一郎(当時、上越教育大学教授)運営委員長と冨田和巳(当時、大阪大学)事務局長の体制になり、昨年緒秋の第14回総会まで続くことになった。なお、事務局冨田が阪大を辞して(社)大阪総合医学・教育研究会(こども心身医療研究所)を設立した際(昭和60年5月)、3回目でこの地に移転された。

会員数は645名(平成8年3月末現在)で、ほとんどが小児科学会会員であるが、若干の他職種の者もおり、小児心身医学を志し勉強する専門職の方々には広く門戸を開いている。

(「小児科学会百年」日本小児科学会1997より)

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