学会の歴史
本学会の歴史―創設期から現在のかたちになるまで―
本学会は初め「日本小児心身医学研究会」と称し、昭和58(1983)年3月19日に設立準備のための学術集会が岩波文門(防衛医科大学校小児科教授)会長のもとに東京で開催された。その実績を基に日本小児科学会に分科会として申請し、同年4月に日本小児科学会から「分科会としての承認通知」を得て、本学会(当時研究会)が誕生した。
多くの学会や研究会は会員の研究発表と研鑽を主な活動として設立されていたが、本研究会は当初から一般小児科医すべてが心身医学を理解し実践するようになることを主な目的として設立された。日本小児科学会の会員は全員、本学会に参加して欲しいという願いを込めて分科会としての活動が選択された。心身医学は特殊な専門分野と考えるのでなく、日常診療の場で誰もが実践し、むしろ必須の考えであると認識してもらうことを目的としていた。研鑽・研究も大きな目的としていたが、当時、ほとんどの小児科医は心身医学を適切に認識していない状況であった。
学術集会の準備に先立ち、設立の声掛けに賛同した発起人が10名弱集まった。研究会の会則を決め、今後の運営を検討し、発起人で運営委員会を設立し、代表として岩波文門運営委員長、吉岡重威(防衛医大助教授)事務局長が選ばれ、事務局は防衛医大小児科教室に置かれることが決定した。なお、発足直後に岩波の委員長辞任があり、同年12月17日に臨時の運営委員会が開かれ、高木俊一郎(上越教育大学)が新たな委員長に選出され、事務局長を冨田和巳(大阪大学)が担当することになり、事務局は大阪大学小児科学教室に置かれることになった。これに伴い吉岡が事務局長から運営委員になったが、他の委員に変更はなかった。この時から平成元年の学会移行までの間、運営委員長は高木が務めた。
また、学術集会と総会の開催は他の学会や分科会との兼ね合いもあり、9月に開催することにし、当面は東京と大阪で交互に開催し、会員が増えるに伴い各地で開催していくことが決定された。この時には約100名の小児科医が会員になった。こうして別表にあるようなかたちで1回から5回までは東京と大阪で開催され、6回目の沖縄(那覇市)を皮切りに、全国で開催されるようになった。
準備段階での学術集会(この回を第1回に数える)はすべて教育講演で構成され、第2回目から演題を広く募集し、会長企画による教育講演やシンポジウムなど通常の学会形式になり、一会場で2日間にわたり開催されるようになった。二会場になるのは第12回からである。
学会創設期には、これからの活動に向けて多くの懸案があったものの運営委員が全員集まるのは難しかったため、主だった運営委員(冨田和巳、村山隆志、木下敏子、星加明德、宮本信也)が高木の呼びかけで東京医大に2~3か月に一回集まり検討することになった。ここで現在の各種委員会の創設、学会誌創刊や選挙による役員選出など学会の体裁を種々検討していくことになった。運営委員会に提出する案件の作成が主な業務であった。
平成元年(1989)に研究会を学会に名称変更し、これに伴い運営委員が理事になり、新たに評議委員を全国各地から募り、理事会と評議員会が発足した。また、学会終了後の日曜日(第3日目)に研修会を開催するようになった。研修会は小児心身医学の基礎的勉強を新入会会員に向けて行うと同時に、地域における心身医学の啓発の目的も兼ねていた。
平成2(1990)年に「ニュースレター」が発行され、平成4(1992)年から学会誌が発行された。
役員は発足時の運営委員会の推薦で順次決まっていたが、平成8(1996)年から役員の定年(70歳)を決め評議員・理事の選挙が行われ、これに伴い初代理事長の高木が勇退し、長畑正道(文教大学養育学部)が2代目の理事長に就任した。また、創設以来の役員の一部が勇退され学会の若返りが14年目で行われ、会員数はこの年に急増して700余名になり、現在の学会とほぼ同じ体裁になった(所属は当時で敬称省略)。
子どもの心の診療医養成が重要な国策と位置づけられていく中、本学会は平成21(2009)年に一般小児科医が日常診療に活かすことのできる小児心身医学会ガイドラインを発刊した。さらに小児の心身医学に関して優れた専門的学識と臨床力を有する医師の育成、子どもたちとその家族の健康の増進・福祉の充実に寄与することを目的として本学会認定医制度が創設され、平成22(2010)年度に第1回認定医試験が実施された。令和3年6月現在130名の認定医を輩出している。その後、日本専門医機構が規定するサブスペシャリティ領域専門医をめざして、日本小児心身医学会、日本小児精神神経学会、日本児童青年精神医学会、日本思春期青年期精神医学会の4学会が協働する「子どものこころ専門医」制度に移行しつつある。子どもの心の診療への関心が高まる中、本学会および会員の社会的責務を明確にし、組織的運営向上のため、平成25(2013)年に本学会は一般社団法人化した。平成27(2015)年には小児心身医学会ガイドライン改訂第2版を発刊し、小児科医をはじめとする多くの子どもの心の診療医に活用されている。令和3年6月1日現在、本学会の会員数は1544名である。
過去の学術集会一覧
回数 | 開催年月日 | 開催地 | 会長 |
---|---|---|---|
第1回 | 昭和58年3月 | 東京 | 岩波 文門 (防衛医大) |
第2回 | 昭和59年9月 | 大阪 | 高木 俊一郎 (上越教育大) |
第3回 | 昭和60年9月 | 東京 | 本多 輝男 (東京医大) |
第4回 | 昭和61年9月 | 大阪 | 一色 玄 (大阪市大) |
第5回 | 昭和62年10月 | 東京 | 小佐野 満 (慶應大) |
第6回 | 昭和63年10月 | 沖縄 | 平山 清武 (琉球大) |
第7回 | 平成元年9月 | 大阪 | 薮内 百治 (大阪府立母子保健総合医療センタ-) |
第8回 | 平成2年9月 | 東京 | 長畑 正道 (静岡県立子ども病院) |
第9回 | 平成3年10月 | 名古屋 | 鈴木 榮 (国立名古屋病院) |
第10回 | 平成4年10月 | 福岡 | 山下 文雄 (久留米大) |
第11回 | 平成5年10月 | 東京 | 村山 隆志 (JR東京総合病院) |
第12回 | 平成6年9月 | 東京 | 中村 孝 (白百合女子大) |
第13回 | 平成7年9月 | 新潟 | 吉住 昭 (新潟県立吉田病院) |
第14回 | 平成8年9月 | 広島 | 清水 凡生 (広島大幼児保健学) |
第15回 | 平成9年9月 | 盛岡 | 赤坂 徹 (国立療養所盛岡病院) |
第16回 | 平成10年8月 | 東京 | 木下 敏子 (佼成病院) |
第17回 | 平成11年9月 | 徳島 | 二宮 恒夫 (徳島大医療技術短大) |
第18回 | 平成12年8月 | 大阪 | 冨田 和己 (こども心身医療研究所) |
第19回 | 平成13年8月 | 名古屋 | 小崎 武 (国立名古屋病院) |
第20回 | 平成14年9月 | 米子 | 笠置 綱清 (鳥取大) |
第21回 | 平成15年9月 | 茨城 | 宮本 信也 (筑波大) |
第22回 | 平成16年9月 | 大阪 | 田中 英高 (大阪医大) |
第23回 | 平成17年9月 | 大分 | 藤本 保 (大分こども病院) |
第24回 | 平成18年9月 | 東京 | 星加 明徳 (東京医大) |
第25回 | 平成19年9月 | 北海道 | 氏家 武 (氏家医院) |
第26回 | 平成20年10月 | 沖縄 | 大宜見 義夫 (おおぎみクリニック) |
第27回 | 平成21年10月 | 東京 | 石崎 優子 (関西医大) |
第28回 | 平成22年9月 | 金沢 | 関 秀俊 (医王病院) |
第29回 | 平成23年9月 | 大阪 | 村上 佳津美 (近大堺病院) |
第30回 | 平成24年9月 | 名古屋 | 井口 敏之 (星ヶ丘マタニティ病院) |
第31回 | 平成25年9月 | 米子 | 汐田 まどか (鳥取県立総合療育センター) |
第32回 | 平成26年9月 | 大阪 | 竹中 義人 (医療法人たけなかキッズクリニック) |
第33回 | 平成27年9月 | 東京 | 藤田 之彦 (日本大学医学部医学教育企画・推進室 教授 日本大学医学部附属板橋病院 小児科) |
第34回 | 平成28年9月 | 長崎 | 小柳 憲司 (長崎県立こども医療福祉センター小児心療科) |
第35回 | 平成29年9月 | 金沢 | 梶原 荘平 (社会福祉法人石川整肢学園 金沢こども医療福祉センター 小児科) |
第36回 | 平成30年9月 | 埼玉 | 作田 亮一 (獨協医科大学埼玉医療センター 子どものこころ診療センター) |
第37回 | 令和元年9月 | 広島 | 河野 政樹 (虹の子どもクリニック) |
第38回 | 令和2年9月 | 久留米 (Web開催) | 永光信一郎 (久留米大学小児科学教室) |